地方女子の働きがいを考える
ローカルでオリジナリティを発揮するには
CATEGORY:Business, for Women, Life
2018.9.22更新

「まとめすぎない」編集から出発する

Uターン&起業後の1年間は、会社といっても働く人は、私一人。
「世間デザインします!」と言って始めてはみたものの、何ができる会社なのか、自分自身でも説明がしづらい状況でした。

基本的には、地域の歴史・文化・観光等の資源調査と、それを紹介するパンフレットや小冊子の作成がメイン。企画・構成から取材・撮影、原稿・イラスト制作、レイアウト・発行まで、一人で全部やれるというのが“売り”ではありました。一式で数十万円のお仕事。取材・調査に数ヶ月〜半年以上かかることもありました。

扱うテーマは、日常のことばかりです。
人々の暮らしぶりや生活の知恵など、その土地の人にとっては「取るに足りない」「当たり前にある」ようなことを、じっくりと取材し、新たな驚きとリスペクトを込めて、大切な資源としてまとめ、「感謝とともに使えるものにする」というのが、大まかなお仕事の流れです。

「編集」という作業にもかなり近いと思います。というか、弊社を「編集プロダクション」だと思ってくださっている方もいらっしゃるくらいなので、「編集」でもいいのかもしれません。

でも、私は、これこそが「まちづくり」の第一歩というか、「まちづくり」をする上で大切なツールであると考えています。新たな活動や見方のための“資源の整理”であり、より多くの人々の“参画を促す意義付け”になるものであると。

ですので、ばっちり編集・制作して、手に取れる完璧な作品をつくることよりも、ちょっと不完全でツッコミたくなるようなきっかけになるものをつくりたい。地域に新たな動きや関係が生まれればいいなーと考えています。なので、「まとめすぎない」ことが、結構大切だったりします。第三者やプロが美しくまとめた文章がどこか上滑りしているみたいだったり、現場の人の飾らない言葉の方がその何倍も本質的でエモーショナルだったりすることは、ままあると感じています。

「手に取れるものを作って完成!終わり!」ではなく、そこから改めて関わったり、メンテナンスしたりして、お手伝いしたことの何らかの部分を担い続けて行きたいと思っています。

 

「いろいろできる」がオリジナリティで、いいじゃない

自分の考えうる&できうる限りの作業をして、目の前の人の役に立ちたいという姿勢は、私の仕事のベースになっています。

プランナー、ライター、デザイナー、ファシリテーター、アドバイザー…、前々職のコンサルティング会社に新入社員として入った頃から一貫して、その時々で必要とされる役割を、パラレルに演じてきました。最初は、求められるままにできることをやっていただけでしたが、そのうち、いろいろできるのが楽しくなってきて自分のキャパシティーの極限まで自ら仕事を抱え込んでいた時期もありました。

でも実は、その道をひたすら追求するスペシャリスト的な存在に憧れていたので、何でもかんでも広く浅く“こなす”ことしかできない自分に嫌気がさしてもいました。なぜ自分には、「これだけは誰にも負けない」というものがひとつもないのだろう?…結構がんばって一番になっても、一番で居続けることは難しいし、なによりそこまで集中力が持たない…。

これに結構な期間、悶々と悩んでいました。シンクタンクでは博士号のある方、少なくとも院卒の方が多かったため、コンプレックスになってしまい、大学院に通おうかとかなり悩んだ時期もありました。…でも結局、勉強したいことがある訳でなく「院くらいは出たい」という不純な動機で通うのは時間のムダだと気づきました。自分が凡才肌であるということを認めてしまってから、かなり楽になりました。そこからは“できない”ことより“できる”ことに意識が向くようになりました。

そして、改めて自分のできることを数え直してみました。「いろんなことがある程度こなせる」という能力だって、けっこう捨てたもんじゃないんじゃないの?これってもしかしたら自分が新たに会社をつくるときのオリジナリティの芯みたいなものになるかもしれないと、うっすらと感じるようになりました。

今では、このパラレルな演じ方こそが、地方でいきいきと働くためのカギではないかと感じています。

 

それは100年後に残したいか

人は、必要とされる環境によって様々な役割や人格を演じます。そして、結構割り切って演じることができると思っています。でも、物理的には同一人物ですから、ベースとなる考え方はあまり変わらないものです。会社にいる自分とプライベートの自分の信条が真逆だったり乖離が大きかったりすれば、どこかで心や体のバランスが崩れてしまうでしょう。

東京時代は、週に半分は地方出張をしていました。A地域の活性化について、ちょっと離れたB地域の事例を引き合いに出し、まるで自分が全部やったかのように方法論を語らねばならないことが、しばしばありました。(注:地域の活性化は、そこに住んでいない専門家や有名人が仕掛けるだけでは絶対成功しません。その地域にしっかりと根ざして暮らし働いている人たちが本気になるから成功するのです。)

事情通の都会人として、実際は税金も納めていない地域を活性化する方法を伝授している自分が、とても後ろめたかった…。自分の正直な感覚のものさしの上に置いてみると「何か違う」。たくさんのことを学ばせていただき、また今も途切れない貴重な出会いはありましたが、「自分の居場所はここではない」と、はっきり自覚できた時、広く浅く地方に関わるのではなく、自分の身の丈を精一杯使って、深く地方と関わる暮らしがしたいと思って、Uターンを決意しました。

Uターンしたばかりの起業直前から今に至るまで、このものさしは大事にしています。自分が共感できなかったり、違和感を感じたりするご依頼には手を出しません。

納得のいかない開発や商売について、何か違和感を感じながらもお手伝いしたことはもちろんあります。でも、そういうときは「これは100年後まで残したいものか?」と考えます。よく考えたら私たちの未来に悪影響を及ぼすかもしれない…とまでは言いませんが、地域の人たちが当たり前すぎて見過ごしてしまっているような大切なものを、ないがしろにはしたくないという思いがあります。

文化財級の町並みの残る地域で空き家がどんどん増えているにも関わらず、今後人口増の見込めない地域で50年ももたないような住宅地を開発するとか、中心市街地の活性化を謳っているにも関わらず郊外型店舗の誘致や増床をするとか、そういう案件には極力関わりたくないと思っています。あと100年後にも、素朴だけど力強くその土地に息づいてきた独自の文化や営みが、少しでも多く残っていてくれたら…と。ピカピカした建物が悪いわけではありませんが、古いものの良さをできるだけ活かした上で作られるべきであろうと思います。(例えば、新幹線の駅舎って、どの地域もとても似ていますよね?地域性よりも利便性が優先されているからだと思います。)

自転車操業のくせに申し訳ないのですが、納得いかずにやる作業からは、学びや気づきが少ないと思いますし、なにより自分の精神衛生上よくないです。

みなさんも、自分が割り切ってできることと、どうしても割り切れないことの境界線がどこにあるのかを、改めて考えてみるとよいかもしれません。

私は、いろんな役割を演じさせてもらったことで、「ここまではさすがにツラい!」という自分の境界線を見極められるようになった気がします。その境界線を知ってしまえば、今度は改めて、自分の許容範囲の中で、今まで演じてきて、すでに自分の中にラインナップされている役割を、“よりよく演じる”フェーズに移っていくような気がします。

「やりたくないことはやらない」というのは、自分らしさを活かしながら、地域に関わる(=お仕事をさせていただく)上でとても大切なことだと考えています。

 

 

関連記事をチェック
野菜で元気だより
2018年9月25日更新
吉田千佳
ライフステージを知る
2021年3月18日更新
仙石 祥枝
社員が健康面の相談をしてきたら
2023年3月18日更新
橋口麻友子